歴史資料館 株式会社GCホールディングス
2005年05月02日
株式会社GCホールディングス 日本史
斎藤一(さいとう はじめ)
天保十五年〜大正四(1844〜1915)
- 三番組隊長 -
山口一、山口二郎、一戸伝八、藤田五郎。
出生と新選組入隊までの経緯も不明。一月一日の深夜(二日)に生まれたので「一」と名付けたとされる。
江戸生まれか播磨生まれ。本名は山口一だが、なぜ斎藤姓になったかも不明。
剣は一刀流とされるが、これも不明。溝口派一刀流、または無外流(山口一刀流)とされる。
酒豪で酒を飲むと目付きが鋭くなり、すぐに赤く顔に出たようだ。
新選組では助勤、三番組隊長、撃剣師範。
会津籠城の際、旧幕府軍は仙台に移行と決まるが、「今更、会津を見捨てるのは誠の義にあらず」と
会津に残り如来堂の戦いで戦死したとされた。
以降、警視庁創設当初から入庁し、警視庁退職後は東京教育博物館、
女子高等師範学校の看守や書記などで警備を務めた。
臨終時には床の間に座布団を重ね、端座し息を引き取った。
写真では中央右の座っている人物。
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天保十五年〜大正四(1844〜1915)
- 三番組隊長 -
山口一、山口二郎、一戸伝八、藤田五郎。
出生と新選組入隊までの経緯も不明。一月一日の深夜(二日)に生まれたので「一」と名付けたとされる。
江戸生まれか播磨生まれ。本名は山口一だが、なぜ斎藤姓になったかも不明。
剣は一刀流とされるが、これも不明。溝口派一刀流、または無外流(山口一刀流)とされる。
酒豪で酒を飲むと目付きが鋭くなり、すぐに赤く顔に出たようだ。
新選組では助勤、三番組隊長、撃剣師範。
会津籠城の際、旧幕府軍は仙台に移行と決まるが、「今更、会津を見捨てるのは誠の義にあらず」と
会津に残り如来堂の戦いで戦死したとされた。
以降、警視庁創設当初から入庁し、警視庁退職後は東京教育博物館、
女子高等師範学校の看守や書記などで警備を務めた。
臨終時には床の間に座布団を重ね、端座し息を引き取った。
写真では中央右の座っている人物。
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永倉新八(ながくら しんぱち)
天保十年〜大正四年(1839〜1915)
- 二番組隊長 -
出生はまだ不明な点がある。戸籍謄本では天保十年九月十二日、長倉勘治の次男とあり、
自伝では天保十年四月十一日、松前藩江戸定府取次役、永倉勘次の一人息子とあり、
明治十六年一月の樺太郡月形村戸長役場の記録では弘化四年生まれとある。
剣を神道無念流の岡田十松と心形刀流の坪内主馬に学ぶ。島田魁とは坪内道場からの知り合い。
近藤をして「真剣で立ち会ったらわからないが、道場の稽古では歯が立たない」と言われた。
天然理心流食客で、新選組では助勤、二番組隊長、撃剣師範。
戦後は剣術師範や道場を開いたりした。
晩年は近藤、土方の顕彰碑を立てたり、また現代に貴重な資料を残してくれた。
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天保十年〜大正四年(1839〜1915)
- 二番組隊長 -
出生はまだ不明な点がある。戸籍謄本では天保十年九月十二日、長倉勘治の次男とあり、
自伝では天保十年四月十一日、松前藩江戸定府取次役、永倉勘次の一人息子とあり、
明治十六年一月の樺太郡月形村戸長役場の記録では弘化四年生まれとある。
剣を神道無念流の岡田十松と心形刀流の坪内主馬に学ぶ。島田魁とは坪内道場からの知り合い。
近藤をして「真剣で立ち会ったらわからないが、道場の稽古では歯が立たない」と言われた。
天然理心流食客で、新選組では助勤、二番組隊長、撃剣師範。
戦後は剣術師範や道場を開いたりした。
晩年は近藤、土方の顕彰碑を立てたり、また現代に貴重な資料を残してくれた。
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伊東甲子太郎(いとう かしたろう)
天保六年〜慶応三年(1835〜1867)
- 新選組参謀 -
鈴木大蔵、宇田兵衛。
性格温和にして敏達、しかも慷慨義侠の心がある。美男子で教養高く和歌にも通じる。
水戸に遊学し弘道館、金子建四郎に入門、神道無念流にも学ぶ。北辰一刀流皆伝。
水戸学、国学により尊攘思想となる。武田耕雲斎と交流があったいうが定かではない。
鈴木三樹三郎の兄で、幼年期は父、専右衛門の閉門蟄居により祖母の実家で三樹三郎と暮らす。
新選組では参謀、文学師範。
新選組内でも勤王活動を始め、薩摩藩脱藩の富山弥兵衛の入隊をとりなし、
六角獄舎に繋がれてた長州藩元奇兵隊総官の赤根武人らの釈放にも尽力した。
一時は近藤よりも勢力があった。
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天保六年〜慶応三年(1835〜1867)
- 新選組参謀 -
鈴木大蔵、宇田兵衛。
性格温和にして敏達、しかも慷慨義侠の心がある。美男子で教養高く和歌にも通じる。
水戸に遊学し弘道館、金子建四郎に入門、神道無念流にも学ぶ。北辰一刀流皆伝。
水戸学、国学により尊攘思想となる。武田耕雲斎と交流があったいうが定かではない。
鈴木三樹三郎の兄で、幼年期は父、専右衛門の閉門蟄居により祖母の実家で三樹三郎と暮らす。
新選組では参謀、文学師範。
新選組内でも勤王活動を始め、薩摩藩脱藩の富山弥兵衛の入隊をとりなし、
六角獄舎に繋がれてた長州藩元奇兵隊総官の赤根武人らの釈放にも尽力した。
一時は近藤よりも勢力があった。
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2005年04月28日
株式会社GCホールディングス 日本史
清河八郎<きよかわ はちろう>
(1830-1863)庄内藩郷士・浪士隊
出羽出身の郷士で、本名は斎藤元司
18歳の時、江戸へ遊学し、北辰一刀流を修める
1854年、神田三河町に私塾を開き、清河八郎と名を変える
尊攘派のリーダー格となるが、ヒュースケン殺害などの辻斬りを働いたため
幕府から追われる身となる
その追及の手を逃れるために幕府に将軍警護部隊(浪士隊)の結成を持ちかける
そして、幹部として浪士隊に参加する
京都に入ると、朝廷に建白書を提出し、攘夷の勅上を受ける
そして、隊士全員に浪士隊が幕府の部隊ではなく
尊王攘夷の尖兵として結成された部隊として結成された部隊であると発表する
これに驚いた幕府は、彼を江戸に呼び戻す
そして、佐幕派に睨まれるようになり、1863年、見廻組の佐々木只三郎に暗殺される
享年34歳
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(1830-1863)庄内藩郷士・浪士隊
出羽出身の郷士で、本名は斎藤元司
18歳の時、江戸へ遊学し、北辰一刀流を修める
1854年、神田三河町に私塾を開き、清河八郎と名を変える
尊攘派のリーダー格となるが、ヒュースケン殺害などの辻斬りを働いたため
幕府から追われる身となる
その追及の手を逃れるために幕府に将軍警護部隊(浪士隊)の結成を持ちかける
そして、幹部として浪士隊に参加する
京都に入ると、朝廷に建白書を提出し、攘夷の勅上を受ける
そして、隊士全員に浪士隊が幕府の部隊ではなく
尊王攘夷の尖兵として結成された部隊として結成された部隊であると発表する
これに驚いた幕府は、彼を江戸に呼び戻す
そして、佐幕派に睨まれるようになり、1863年、見廻組の佐々木只三郎に暗殺される
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2005年04月13日
株式会社GCホールディングス 日本史
芹沢 鴨<せりざわ かも>(1827-1863)新選組
水戸藩の3男として生まれ、本名を木村継次という
攘夷思想の中で育ち、神道無念流免許皆伝を修め、天狗党に入る
1862年、浪士組に参加するが、
尊王攘夷を唱える清河八郎に反発し新選組を結成。局長に就任する
しかし、その狼藉ぶりには目に余るものがあり
浪士取締役の山岡鉄舟が脅しに来るに至る
しかし、それでもなお乱交は収まらず、罪状には事欠かない惨状であった
そして、近藤勇ら試衛館一派と対立する
その後、会津藩の命令を受けた近藤達によって暗殺される
享年36歳
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水戸藩の3男として生まれ、本名を木村継次という
攘夷思想の中で育ち、神道無念流免許皆伝を修め、天狗党に入る
1862年、浪士組に参加するが、
尊王攘夷を唱える清河八郎に反発し新選組を結成。局長に就任する
しかし、その狼藉ぶりには目に余るものがあり
浪士取締役の山岡鉄舟が脅しに来るに至る
しかし、それでもなお乱交は収まらず、罪状には事欠かない惨状であった
そして、近藤勇ら試衛館一派と対立する
その後、会津藩の命令を受けた近藤達によって暗殺される
享年36歳
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株式会社GCホールディングス 日本史
川田 小龍<かわだ しょうりょう>(1824-1898)土佐藩士・画家
狩野派に絵を学ぶ
特に龍をよく描いたことから小龍と号するようになる
土佐に帰国した中浜万次郎を藩命で取調べ、「漂巽紀略」を著す
1854年には、自宅に訪ねてきた坂本竜馬に外国の知識を教えるなどしている
享年75歳
続きを読む
狩野派に絵を学ぶ
特に龍をよく描いたことから小龍と号するようになる
土佐に帰国した中浜万次郎を藩命で取調べ、「漂巽紀略」を著す
1854年には、自宅に訪ねてきた坂本竜馬に外国の知識を教えるなどしている
享年75歳
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株式会社GCホールディングス 日本史
勝 海舟<かつ かいしゅう>(1823-1899)幕臣
江戸本所亀沢町に勝小吉の子として生まれる。幼名・麟太郎
7歳の時、勝甚三郎の養子となり、その娘のお信と許婚になる
また、従兄弟の男谷信友から剣術を習い、その弟子の島田虎之助を剣の師匠とする
そして、15歳で目録、21歳で免許皆伝となる
またこの間、島田虎之助に勧められ、蘭学と西洋式兵術を学ぶ続きを読む
江戸本所亀沢町に勝小吉の子として生まれる。幼名・麟太郎
7歳の時、勝甚三郎の養子となり、その娘のお信と許婚になる
また、従兄弟の男谷信友から剣術を習い、その弟子の島田虎之助を剣の師匠とする
そして、15歳で目録、21歳で免許皆伝となる
またこの間、島田虎之助に勧められ、蘭学と西洋式兵術を学ぶ続きを読む